正入寺城

別名 別所治定居館
平山丸 
付近住所 三木市本町1-7-21 現在 正入寺
2007/8/16 案内板アリ 伊木家菩提寺


別所治定 三木城の一郭正入寺
 正入寺は三木城東部の平山丸跡であり、三木合戦の際平井山合戦で奮闘した別所小八郎治定公(三木城主別所長治公の弟君)の居館跡だと伝えられています。
 慶長6年(1601年)姫路城主池田輝政公筆頭家老伊木豊後守忠次公が3万7千石を領して三木城主となった時、先君池田勝入斎信輝公(輝政公父君)追善のために、尾州(愛知県)知多郡大野の斎年寺3世日山和尚を招きお寺を建立し、「護国山勝入寺」と名づけられ伊木家の菩提寺としています。
 元和2年(1616年)6月姫路城主池田利隆公36歳の若さで死去され、嫡男光政公8歳の幼君のため、池田家は因幡・伯耆(鳥取県)両州へ移封され、お寺も伯州倉吉に移っています。
 元和2年8月久留美慈眼寺13世海翁宗智大和尚を特請の開山として、お寺を再建しています。
 当山の寺号は創建当時の勝入寺から正入寺となっていますが、伊木家の菩提寺として現在に至っています。



三木城主伊木家
 「三木町先覚事蹟考」によりますと、伊木忠次公は三木合戦の後、ようやく復旧した城下町をもっぱら殖産興業に力を入れ、その嫡男伊木忠繁公は姫路城築城の総普請奉行の要職を務めています。
 境内墓所には池田利隆公、伊木忠繁公、忠繁公母君等の供養墓があります。

 
池田利隆公・伊木忠繁公・忠繁公母の墓

HOME